主に細幅鍵盤の事を、個人的な戯言を交えながら徒然なるままに書いているブログです。このブログの趣旨をまとめていますので、初めてお越しの方は、宜しければカテゴリ欄の「記事の概要」をご一読ください。
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05/08
平等?公平?
手の大きさに合わせてピアノの鍵盤の幅を選べるようにすることの是非については色んなご意見があるかと思いますが、最近、この考え方の趣旨をとても分かりやすく説明できる画像を見つけたので紹介させて頂きます。
この画像はずいぶん前からネット上で拡散されていたようなので、もうご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
(“平等、公平”で検索すると、この画像についての記事がいくつか上がってきますよ。)


equality_equity


まずは画像下の文章を和訳してみました。いつものことですが決して上手くはありません


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Equality = SAMENESS
平等性[等しいこと、同等(のもの)] = 同一性[同様なこと、類似、酷似]

Equality is about SAMENESS, it promotes fairness and justice by giving everyone the same thing.
平等性とは同一性ということであり、誰にでも同じものを与えることによって公平性や〔主張などの〕正当性[妥当性]を図ることである。

BUT it can only work IF everyone starts from the SAME place, in this example equality only works if everyone is the same height.
しかしそれは、誰もが同じ場所から出発した場合のみ正常に機能することができるのであって、この例で平等性が正常に機能するのは、すべての人が同じ身長の場合のみである。

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Equity = FAIRNESS
公平性[正当な権利[要求]] = 公正[公平]

Equity is about FAIRNESS, it's about making sure people get access to the same opportunities.
公平性[正当な権利]とは公正[公平]ということであり、人々が同じ機会[チャンス]を得ているか確認することである。

Sometimes our difference and/or history, can create barriers to participation, so we must FIRST ensure EQUITY before we can enjoy equality.
時に、私達の違いや経歴は関与への障壁を生み出すことがある。従って、私達は平等[対等]性を享受できる前に、まずは公平性[正当な権利]を確保しなければならない。

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上の和訳をピアノの鍵盤の大きさの問題について言い換えると・・・

平等性とは同一性ということであり、誰にでも同じ大きさの鍵盤を与えることによって、ピアノの演奏(コンクール)の公平性や正当性を図ることである。”
“しかしそれは、誰もが同じ場所から出発した場合のみ正常に機能することができるのであってピアノの場合に平等性が正常に機能するのは、すべての人が同じ手の大きさの場合のみである。”

公平性[正当な権利]とは公正[公平]ということであり、人々が同じ機会[チャンス]を得ているか確認することである。”
“時に、私達の手の大きさの違いピアノ演奏への障壁を生み出すことがある。従って、私達は平等な演奏(コンクール)の機会を享受できる前に、まずは公平性[正当な権利]を確保しなければならない。”

・・・といった感じでしょうか。

端的に言えば、

今のピアノの状況は左の絵(Equality)のような状態になっているので、それを右の絵(Equity)のような状態にしましょうよ

ということなのです。

鍵盤(手の大きさ)の問題については、必ずといっていいほど“手が小さければ工夫するなりストレッチしてもっと手が開くようにするなりすればよい”という意見が語られますね。確かにこの方法で弾けるようになったという方もいらっしゃるかと思います。
ですが、物事というのはほとんどが“程度”の問題で、100 : 0や白黒で片付けられることはほとんどありませんね。恐らくこの方法で弾けるようになったという方の大半は、画像で言うところの真ん中の人物に位置する人達なのではないかと思います。細幅鍵盤が切実に必要なのは、主に右の人物に位置する人達ではないでしょうか。

真ん中の人物の身長であれば、左の背の高い人物ほど楽々とはいかないまでも、背伸びをすればまあまあ試合を観ることができるでしょう。ですが、これと同じことを右の一番背の低い人物がしようとすればどうでしょうか。恐らく同じように背伸びをしても観ることはできないでしょう。
右の人物が野球観戦をしようと思えば、ジャンプしてその滞空時間の間に観るか、どうにかして塀にしがみつくかよじ登るか・・・といったところでしょうか。そうするためには、滞空時間を長くするためのジャンプ力や、瞬間的に状況を把握できるくらいの動体視力、若しくは、長時間しがみつくための持久力か、塀の上まで身体を持っていくジャンプ力か懸垂力を身につけることになるだろうと思いますが、そのような方法だと左や中央の人達ほどは観戦できない上に、他の人達よりもずっと怪我をするリスクが高くなってしまうでしょう。

もちろん、中にはそのような驚異的な身体能力を身につける人もいるかもしれませんし、そういう人の中には踏み台を使わずに身につけた能力を活かしたいと思う人もいるかもしれません。
鍵盤幅の選択権とは、そういった方々にまで細幅鍵盤(踏み台)を使うことを強要する話ではなく、あくまでも細幅鍵盤(踏み台)を使って、手が大きい(身長が高い)人達とできるだけ同じ条件にして、傷害のリスクがなるべく少ない状態で満足できるピアノの演奏(野球観戦)をしたいという人達のために、手の大きさに見合った幅の鍵盤(身長に見合った数の踏み台)を使えるようにしてもいいだろうという考え方なのです。なので、細幅鍵盤が選べるコンクールでは、強制ではなく参加者の自由意思で選ぶ形がとられていますね。

演奏の出来栄えの評価(主にコンクール)に例えて上の画像を説明するとすれば、野球の実況の腕前を競う、といったところでしょうか。スポーツの試合の実況をするには、先ず試合の様子がよく観えることが大前提ですね。まともに観えないようでは話になりません。
ではもし、左の絵(Equality)のような状態のまま、三者を競わせたとしたら・・・説明しなくてもお分かりになりますね。恐らく、「こんなのおかしい」という声が上がるでしょう。
背の低い右端の人が結局まともに観えなかったために他の2人よりも上手く実況できなかったとして、それを“本人の才能や努力の問題”と片付けてしまえるでしょうか。言うまでもありませんが、実況の腕前に背の高さは関係ありませんよね。

ですが、このように誰が見ても変だと分かるような状況でも、常態化して、その道の人までが「こういうものだ」と言うようになると、もはや疑問にすら思わなくなってしまうのが人間の心理の怖いところですね。
ただピアノの場合は、例えおかしいと思っていても、そもそも鍵盤の幅が変えられること自体が知られていなかったので、疑問を持たないようにするしかなかったのかもしれません。

“鍵盤の幅は変更可能”

この事実を知れば、もう疑問を封じ込める必要はありませんよね。


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