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主に細幅鍵盤の事を、個人的な戯言を交えながら徒然なるままに書いているブログです。このブログの趣旨をまとめていますので、初めてお越しの方は、宜しければカテゴリ欄の「記事の概要」をご一読ください。
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認知的不協和: 酸っぱい葡萄(鍵盤のサイズが選べる状況)と甘いレモン(1つのサイズの鍵盤しかない状況)
心理学にご興味のある方なら聞いたことがあるかもしれないこの言葉。意味までご存知の方であれば、タイトルだけでお分かりになるかと思います。

2018年3月18日の記事(←クリック)で、手が小さいながら長年標準鍵盤で頑張ってきた年配のアメリカ人女性が、最近になって細幅鍵盤という考え方に出会ったときの心境について綴られたメールの内容を紹介しました。
そのメールには、この考え方に触れたときの女性の心の葛藤や、女性の通うピアノ・サークルの人達の反応について綴られています。これをお読みになった方の中には、ご自身の経験と重なった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回、こういった現象について説明できそうな、興味深い心理学の学説を見つけたので紹介したいと思います。


認知的不協和(または認知的不協和理論)(英: cognitive dissonance)”とは、アメリカの社会心理学者、レオン・フェスティンガー(Leon Festinger, 1919年5月8日 - 1989年2月11日)によって提唱されたもので、「同時に2つ以上の矛盾した信念、理想、または価値観を持つ人が経験する精神的不快感(心理的ストレス)」を表す社会心理学用語です。

分かりやすく言えば、人は“それまでの考え方や行動”と矛盾する“新しい情報”に出くわすと精神的に不快になるということです。
人がこの認知的不協和の状態に陥った場合、その不快感を解消するためには、“新しい情報”を受け入れて“それまでの考え方や行動”を改めるか、“新しい情報”を否定して“それまでの考え方や行動”を正当化するかのどちらかの行動をとる必要があります。
これを説明する代表的な具体例として、喫煙者の心理と、イソップ物語のキツネと酸っぱい葡萄の話がよく挙げられます。


~喫煙者の心理~

喫煙者は、肺ガンのリスクを高めるということを知りながらタバコを吸っているという自分自身の矛盾した行動のために心理的ストレスを感じます。
この心理的ストレスを解消するためには、“タバコは肺ガンのリスクを高める”という情報を受け入れて“タバコを止めるか、あるいは“タバコは肺ガンのリスクを高める”という情報を否定してタバコを吸い続けるか、どちらかの行動を選ばなければなりません。

喫煙はニコチンへの依存性が高いために禁煙するのは困難なため、喫煙者は後者の行動をとる傾向が強いです。この場合、「喫煙者で長寿の人もいる」とか、「交通事故で死亡する確率の方が高い」といった理屈を考え出すことで、認知的不協和状態(喫煙のリスクからの不安)を解消しようとします。

実際、喫煙の害に関するネット記事が出たときには、決まってそのコメント欄に喫煙を正当化しようとするコメントが並ぶのを目にしますね。しかもそういったコメントが上位を占めているという・・・ちなみに私はタバコは吸いません。

なお、アメリカのタバコ会社は認知的不協和を解消させようと、

“煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。”

といった主張をしているそう。

こういった主張は一見論理的なように見えますが、喫煙を正当化しようという結論ありきで組み立てられている理屈なので、論理的とは言い難いものです。こういうのを一般的に“屁理屈”と言いますね。


~キツネと酸っぱい葡萄~

イソップ寓話の1つで、子供の頃にお読みになった方も多いと思います。

この物語のあらすじは、キツネがたわわに実った美味しそうな葡萄を見つけて、採ろうとして跳び上がるものの、葡萄のある場所が高すぎていくらやっても届かず、結局採ることができなかったキツネは怒りと悔しさで、「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいに違いない!誰が食べてやるものか!」と捨て台詞を残して去るというものです。

英語圏では「Sour Grapes(酸っぱい葡萄)」は「負け惜しみ」を意味する熟語だということですが、この話は色んな心理学論を説明する際もよく挙げられているようで、認知的不協和もその1つです。

この物語で説明できる心理とは、本心では欲しいと思いながら手に入れられない、あるいは、本当はそうであってほしいけど、そうあるようにするには困難、という状況下に置かれた場合、そのフラストレーションを解消するために、「そんな物には価値が無い」とか、「むしろそうでない方が良い」といった解釈をすることで、現状を正当化して心の平静を保とうとすることです。

物語のキツネは、本心では美味しそうな葡萄が食べたくて仕方がないのですが、それを手に入れることが出来ないと分かると、自分の中に生じた不満をどうにか解消するために、「あの葡萄は美味しそうに見えるだけで、本当は不味くて採るだけの価値は無いのだ。」という解釈をして自分を納得させたわけです。


~甘いレモン~

上記の酸っぱい葡萄とは逆の観点から認知的不協和を説明するもので、「今手に入るもの(現状)こそが最も良いもの(最善)なのだ」と解釈して現状を正当化する心理です。
※ 言うまでもありませんが、これはあくまでも比喩的な表現なので、「レモンも催眠術やミラクルフルーツの力を借りれば甘くなる」とか、「甘いものより酸っぱいもののほうが好きな人もいる」とかいった言葉の揚げ足取りは無意味です。

本心では現状に不満を抱えていながらその現状から逃れられない場合に、その心理的ストレスを解消するため、「こうやって頑張ることは素晴らしい。この努力こそ価値あるものなのだ。」と解釈することで自分を納得させて心の平静を保とうとすることです。

こういった形で本心を誤魔化してしまうことを“自己欺瞞”と言いますが、これだと、その場では何となくうまく片付いたように思っても、根本の解決にはなっていないので、心の底では自信が持てていなかったりします。
そのため、他の人がその不満から抜け出す(根本解決をする)様子を見てしまうと、たちまち“自己欺瞞”による表面的な納得が崩れて、心理的ストレスを感じてしまうのです。

認知的不協和は、自分への納得の度合いが高い、言い換えれば、“信念”が強いほど、それと矛盾する情報に遭遇したときの不快感も強くなり、受け入れ難くなるという性質があるそうです。

本来なら、ここで自分も問題の根本解決をする道を選ぶほうが合理的なのですが、人の心はそう簡単なものではなく、特に小さい頃から刷り込まれた考え方だと、それを改めるのは非常に困難になります。それは自分のこれまでの人生を否定するくらい耐え難いことでしょう。
こういう心理状態から、(不満の根本解決となり得る)新しい情報を何としてでも間違っていることにして、(本心では不満を感じているはずの)従来のやり方を正当化しようとしてしまうわけです。

前述のキツネと酸っぱい葡萄の寓話と甘いレモンの例えに当て嵌めて言えば、

『“美味しそうに見えるだけで本当は不味いはず”の手に入れる価値の無い葡萄なんか無視して、“1番甘くて美味しいはず”の今手に入るレモンでみんな満足しているのに、“価値が無い”葡萄を手に入れようとするなんて、しかも“不味いはず”なのに「すごく美味しかった」なんてけしからん!そんなの認めるもんか!』

といった感じでしょうか。

こういうチグハグな批判は、ピアノの鍵盤幅(手の大きさ)の問題に限ったことではなく、日常でもよく目の当たりにしますが、この不思議な現象も認知的不協和理論でだいたい説明がつきます。

記事冒頭で触れたアメリカ人女性の件も、細幅鍵盤という考え方に触れた当初の心の葛藤はこの心理によるものだと思います。この女性は最終的にこの葛藤を乗り越えて、今は細幅(自分の手の大きさに合った)鍵盤を使う喜びを満喫しているようですが、そこに至るまでの精神的ストレスは相当なものだったでしょう。大変な勇気が必要だったと思います。そして、この女性の話の中に出てくるピアノ・サークルの人達の冷たい反応もこの心理によるものでしょう。


・・・とは言え、世の中不満な事ばかり。逆にすっきりうまくいっていることのほうが少ないくらい。まともに不満を抱えていてはやってられないので、こういう心理も心の平静を保つため、時には必要でしょう。
ですが、その数少ない根本解決できそうな機会までが、この心理によって潰されてしまうのは勿体無い気がしますね。


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