主に細幅鍵盤の事を、個人的な戯言を交えながら徒然なるままに書いているブログです。このブログの趣旨をまとめていますので、初めてお越しの方は、宜しければカテゴリ欄の「記事の概要」をご一読ください。
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皆様ありがとうございます!
今年も残すところあと1日。
昨年(2012年)の7月よりこのブログを開設して以来、このブログも2度目の年越しを迎えることが出来ました。
これも偏にこの活動を応援して下さる皆様のお力添えがあったからこそと思っております。
今後もこの活動を続けていきたいと思っておりますので、来年も宜しくお願い致します。

ちなみに先日、ロンダさんよりPASKのサイトが出来上がったとの連絡を受けました。

PIANISTS FOR ACCESS TO SMALLER KEYBOARDS – PASK
http://www.paskpiano.org/

今後、各ページに画像を載せていって、少しずつ改良していく予定とのことです。
このサイトもスタインビューラーのサイト同様、(下手ですが)翻訳できればいいな、と思っています。

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12/13
手の小さいことは決して恥ずかしいことではない
世界で初めて細幅鍵盤を採用した、DCS国際ピアノ コンクール2014の申込期限も明後日に迫りました。
これは中田喜直さん始め、細幅鍵盤を推奨する多くのピアニストの方々が望んでいたことなので、中田喜直さんも天国でさぞかし喜んでいらっしゃることと思います。


こちらのブログの2つの記事、

『細幅鍵盤、、反対の人は先ず「この本を読んでからにして欲しい」』
『新聞にも細幅鍵盤が過去に、、』

にも書かれていますが、細幅鍵盤を推奨しているのは中田喜直さんだけではありません。


「細幅鍵盤運動」に関して、中には中田喜直さんがまるで“変わり者”であったかのように思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、中田喜直さんの書籍、『音楽と人生』随筆集の第4章「日本人と、ピアノ」を読むと、現在の鍵盤幅によって大きな不利益を被っているにも関わらず、この鍵盤に固執し続ける日本人の方がむしろ“変わり者”であることが分かります。

中田喜直さんの本だけでなく、スタインビューラーの記事を翻訳して読み、ロンダ・ボイルさんと連絡をとってみても、やはり“手の大きさは様々なので、鍵盤幅も様々あるべきである”と考える方が世界の常識であって(何も難しい事ではなく、普通に考えれば分かる事だと思うのですが・・・)、“手が小さくても現在の鍵盤で頑張らなければならない”“手の大きさと鍵盤幅は無関係”という理屈がいかに非常識であるかということに気付かされます。


「日本人と、ピアノ」の中では、フランスのピアニストで、オルガニスト、作曲家、音楽教育者でもある、アンリエット・ピュイグ=ロジェのこのような言葉も紹介されています。

「日本人は手が小さくても一生懸命練習すれば、どんな曲でも弾けると思っているけれど、そんなことはなくて、弾けない曲は沢山あります。」


よく、“手をめいっぱい広げればオクターヴ届く”とか、“ストレッチやマッサージをして指の間を広げる”という意見を見かけますが、中田喜直さんはこのように言っています。

「指を無理にひろげれば、手首や腕が固くなって、ピアノを正しく弾く状態ではなくなってしまう。指を動かして楽譜の音が出ていれば、それで弾けているつもりになっている日本人が多いが、そんなものではない。」


ヨーゼフ・ガート著、 大宮 真琴訳の「ピアノ演奏のテクニック」という本の中にもこのような記述があるそうです。

「あまり指を張りつづけることは、痙攣と硬直の原因となる。したがって手を固定することは、絶対に必要なとき以外には、決して行ってはならない。」


そして、ロンダ・ボイルさんもこのようにおっしゃっています。

「大きな手のピアニストは、小さな手のピアニストより、曲がった指を持っている傾向があります。そして、曲がった指は、むしろ伸びて緊張を引き起こすより、多くの場合望ましいのです。」


“楽に弾く”と言うと、怠惰なイメージを持つ人が多いのかもしれませんが、ピアノを弾くということは、本来、手を“楽に”構えて(脱力して)、手が柔らかい状態で弾くことが基本なのだと思います。
現在の鍵盤の幅では、脱力しようにも手の大きさが足りなくて(鍵盤が大きすぎて)無理な人が多いと思います。


以前書いた記事、 “「音楽家の手」の専門医 酒井直隆医師”で、酒井直隆医師に関する記事を幾つか紹介させて頂きましたが、その中でも、“痛みを招く手の酷使 楽器演奏で高頻度 音楽家外来で治療を”という記事の中で酒井医師は、このように述べています。

「演奏人口の多いピアノは患者も多い。ピアニストに最も多いのは腱鞘炎で31%。次いで筋肉が骨にくっついている部分が炎症を起こす付着部炎(24%)、筋肉痛(16%)の順である。一方、原因となったテクニックを調べると、親指と小指を広げて鍵盤をたたくオクターブ(43%)と和音(32%)が圧倒的に多く、意外にも、指を強く打ちつけて大きな音を出すフォルティッシモは8%にとどまった。痛みの大部分は、関節を動かす筋肉や腱の炎症であり、特に指を広げた状態での打鍵は手を痛めやすい。無理をせず、手をいたわりながら練習することが大切である」

小さな手で(大きすぎる鍵盤で)、無理に弾くことがいかに危険で、また、それを強要することがいかに残酷なことであるかがよく分かります。


ロンダさん始め、外国の方に細幅鍵盤に対する日本人の意識についての説明をするために、“なぜこうなのか”と、色んな方々の意見を読んで回って、あれこれ自分なりに分析してみているのですが、どうも日本人の中にある“価値観”が大きく影響しているような気がしています。

元々日本人は、努力そのものに価値を置いて、あらゆるものを精神鍛錬の一環として考えて、その事の本質に関わらず、困難な状況で努力することを非常に高く評価する傾向があるようです。
それ故に、自然な状態で楽に弾くことより、困難な状態でも一生懸命弾くことの方が良いことのように思えてしまうので、鍵盤の幅を小さくしようと言う人や、手が小さくてピアノが弾けないと言う人に「甘ったれるな!」と言いたくなってしまうのだろうと思います。

確かに、努力をすることは大事なことなのですが、その方向性が間違っていては意味が無いのではないでしょうか。
ピアノを演奏する為にするべき“努力”とは、感性や音楽性を磨いて、正しい弾き方での良い演奏が出来るようになることであって、鍵盤の幅が手の大きさに合っていない(手の大きさに対して大きすぎる)状態で、好ましくない弾き方での無理のある演奏が出来るようになることではないはずです。


「日本人と、ピアノ」は、このような文で終わっています。

“体の小さいこと、手の小さいことは、決して恥ずかしいことではない。スコダ氏も言うように、鍵盤の幅は音楽とは関係がないのだから、細幅(Mサイズ)鍵盤のピアノを使って、無理のない、自然の演奏で、いい音で、表現力を豊かに、よりよい演奏をすることの方が、はるかに大切なのである。”

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