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主に細幅鍵盤の事を、個人的な戯言を交えながら徒然なるままに書いているブログです。このブログの趣旨をまとめていますので、初めてお越しの方は、宜しければカテゴリ欄の「記事の概要」をご一読ください。
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08/13
誰かの犠牲の上に成り立つシステムはいつか破綻する
東京医科大が受験の点数を不正に操作して女子と3浪以上の男子受験者の合格者数を抑制していたニュース・・・衝撃でした。
我が目を疑うとはまさにこのこと。
最初にこのニュースを見たのはネットニュースでしたが、タイトルを見たときはまさか現在のこととは思わず、昔の話だと思ったほどです。


このニュースを見たときに、昔見たドラマの中で語られた、ある台詞をふと思い出しました。
10年以上前に、阿部寛さんが主演された『ドラゴン桜』というドラマがありました。阿部寛さん演じる元暴走族の貧乏弁護士、桜木建二が落ちこぼれの生徒たちを東大に合格させるという内容でしたが、ドラマの中で桜木建二が、“世の中は不公平なことばかりだけど、受験だけは唯一どんな人でも公平に評価される場なのだ”みたいなことを言っていました。
それがまさか受験にまで不公平があったとは・・・この台詞をお書きになった方はニュースを見てひっくり返るくらい驚かれたでしょうね。


このネットニュースの記事に寄せられているコメントにもどうにもモヤモヤ・・・
もちろん、不正を批判するコメントが多いのですが、その一方で、医師の方々の置かれている現状から「こうでもしなきゃどうしようもないだろう」と、あたかも不正を擁護するかのようなコメントもかなりの割合見受けられました。(ネット上の意見が世論とイコールだとは思いませんが・・・)

医師の方々の劣悪な労働環境に対して、“労働環境の改善”をするのではなく、“奴隷的な労働をさせられる”男性医師の方が使える、“男性のように奴隷的な労働をさせられない”女性医師は使えない、だから女性があまり入れないようにしようという発想に行ってしまう・・・しかもそんな医師の方々の置かれている状況を知った上でも、こんなやり方に対しておかしいとは感じずに、“仕方ない(必要悪だ)”で終わらせてしまうメンタリティ・・・でもこれ、似たような問題を何かで見たような・・・と思って思い出したのがこちらの記事でした。

子供の熱中症死を続出させる「根性大国ニッポン」の狂気
https://diamond.jp/articles/-/175658


かなりの長文ですが、なかなか興味深い内容でした。
「1人や2人ぶっ倒れるのは想定内」「犠牲者を前提とした組織運営」・・・こういう基準を普通だと思っていると、今回の問題に対しても“殺人的な勤務体制に対応できないほうが悪い”、“奴隷のように働けないヤツは撥ねられて当然”という感覚になってしまうのでしょうか・・・。

日本における細幅鍵盤運動の先駆けである中田喜直氏の著書、「音楽と人生」の中に、“・・・四、五歳の幼児も、おさらい会などで、ホールの大きなコンサート用のピアノを足のとどかない高いイスに乗って弾いている・・・本当は人間の体や生理を全く無視したひどい光景なのである。これを親や先生が、変だ、おかしい、不自然だ、とは全然思わず、平気で眺めているのだから情けないことだ。”と書かれているのですが、これも決して親御さんやピアノの先生方がおかしいのではないと思います。
それが“普通”だという感覚が蔓延している社会に居ては、疑問を感じなくなっても無理もないことでしょう。その姿を見て、「ひどい」どころか、むしろ「美しい」、「健気だ」と思っているくらいではないでしょうか。


医師の方々の過労死も深刻な状況のようですね。
医師に限らず、飛行機のパイロットやバスの運転手など、云わば“命を預かる”仕事の方たちには常に万全のコンディションでいてもらいと思うのがサービスを受ける側の思いだったりします。過労でフラフラの人に手術をされたり、飛行機を操縦されたり、車を運転されたりすると思うとゾッとしますね。

命を危険にさらすほど無理をして働くのが必須条件?
医師にとっては他人事ではない過労死の実態
https://www.dtod.ne.jp/forefront/article07.php


勤務医の過重労働:酷使される勤務医の実態と、その解消策
https://www.huffingtonpost.jp/koichiro-yuji/post_4867_b_3363253.html



この問題に関しては色々言いたいことがあるのですが、私の拙い文章力ではなかなか上手くまとめきれずにいたところ、言いたいことがだいたい書かれている記事が見つかったのでこちらを紹介させていただきます。

東京医科大の点数操作は「必要悪」? 女性医師の本音
女性医師だけの問題じゃない 「過労大国ニッポン」の縮図
https://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/090500093/080600047/



こんなに女性医師の比率が低いのは(一部の発展途上国を除いて)日本くらいらしく、先進国で最低とのこと。ですが、こうやって海外の話を出すと、“よそはよそ、うちはうち”とお思いになる方もいらっしゃるかもしれません。
現状に殆どの人が納得していて、それで上手くいっているのであればそう言えるかと思いますが、多くの人が納得しておらず、そのために犠牲になっている人たちがたくさんいるような状況であれば、やはり問題意識を持って対策を考えたほうが賢明でしょう。
そもそも、他の国々が出来ていることを日本だけが出来ていない状況の方にもっと疑問を持ったほうが良いのではないでしょうか。少なくとも、“先進国”を名乗るのであれば。
誰かの犠牲の上に成り立っているような状態では、そのシステムはいつか破綻してしまうでしょう。それを改善するために諸先輩方(問題への対応が進んでいる国々)から知恵を借りるのも1つの方法だと思います。

女性医師の割合、日本は先進国で最低
学生比率も印パに及ばず
https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/doctor-oecd?utm_term=.rapRw1vmz#.eh6MDr8xm


日本で初めて女性で医師免許を取得して開業したのは、荻野吟子さん(1851年4月4日(嘉永4年3月3日) - 1913年(大正2年)6月23日)という方だそうです。
医術開業試験制度がなかった時代からでは、榎本住さん(1816年 - 1893年)など、何人かの女性医師が開業していたそうで、西洋医学を学んだ女性医師としては、シーボルトの娘、楠本イネさん(1827年 - 1903年)がいるそうです。

日本人女医第1号 荻野吟子
http://www.town.setana.lg.jp/ogino/article43.html


荻野吟子さんは、医師になるため本当に大変なご苦労をされたようですね。それから100年以上も経って未だにこんな状況とは・・・今頃空の上で情けなく思っているかも・・・
荻野吟子さんが医者を目指した切っ掛けでもありますが、個人的には婦人科や産科のお医者様は出来るだけ女性であってほしいなと思っています。昔勤めていたバイト先の女性の先輩が、高校生の頃に(妊娠ではなく婦人科系の問題で)婦人科を受診したときに男性医師に触診されたときは本当に屈辱的だったと話していたこともありましたし、やはり女性医師がもっと増えてくれたほうが患者側としては嬉しいですね。(NHK朝ドラ「半分、青い」の貴美香先生みたいな♪)

荻野吟子さんの苦労の末に、女性が医者になる道が切り開かれたものの、1876年(明治9年)に長谷川泰氏により創設された済生学舎という私立医学校が、もともと男女を受け入れていたにもかかわらず、やはり女性への差別意識によって途中から女子学生を締め出してしまい、またもや女性が医学を学べる機会が奪われてしまいました。
そこで、女性医師の吉岡彌生さんが、“女性が学べる医学校を作ろう”と、1900年(明治33年)に、現在の東京女子医科大学の前進となる「東京女医学校」を創設したそうです。

かつて女性は「風紀を乱すから」医師になれなくなった。
東京医大問題に残る、差別の構造
https://www.buzzfeed.com/jp/seiichirokuchiki/women-in-medical-world-01?utm_term=.fj0DRVjJ9#.cwd1lpP5D


こういう先人たちの努力によって実現したことが、このような形で踏みにじられてしまうのは悲しいですね・・・。


細幅鍵盤の普及活動も、最初の頃は「そんなの実現できるわけない。夢物語だ。」という空気に満ちていました。
ですが、その“出来るわけない”はこの活動に関わる方々の努力によって少しずつ実現していって、もはや夢物語の域を脱しつつあります。
東京医科大の点数操作事件で浮上した医師不足問題。現場の状況を考えると女性医師が避けられてしまうのも仕方ないとお思いになった方もいらっしゃるかと思います。そして、この件でもやはり、“女性医師が活躍できるようにするなんて、そんなのは理想論だ。”という空気が流れているような気がします。
ですが、大阪病院(旧大阪厚生年金病院)が早くからこの問題に取り組まれていたそうで、その結果、女性の退職がほとんどなくなったということです。

女子受験者差別は「医師不足」懸念 その根底にある発想とは
https://thepage.jp/detail/20180814-00000005-wordleaf


“少数派がその組織に影響力を及ぼすには3割以上は必要”ということは、ピアノの鍵盤問題も、細幅(サイズが選べる)鍵盤がピアノ界に影響力を持つには使う人が3割超える必要があるということですね・・・。
ですが、電子ピアノの細幅鍵盤が出れば、3割以上達成するのも夢ではないかも!?


いろいろな記事を紹介させていただきましたが、こういう視点もあるのか~と面白く思った記事がありましたので、最後にこちらを紹介させていただきます。
出来ない理由を説明するのに、お金や人員など、物理的な問題が挙げられることが多いですが、よくよく事情を聴いてみると、実は人間臭い感情が絡んでいた、なんてことも結構あったりするものです。
なので、こういうことも無きにしも非ず・・・?

東京医大が「女子差別」を続けた根本原因
https://president.jp/articles/-/25879



医学界に限らず、この手の問題はどこでも見受けられますね・・・。

今年の元旦に放送された、水谷豊さん主演の『相棒16 元日スペシャル 10話「サクラ」』の中で、水谷豊さん演じる杉下右京が語ったこの言葉が思い出されます。

「この社会にはたくさんの不正が存在します。君が今回体験したように、この世に正義など無いのではないかと感じるときもあるかもしれません。正義とは人間が考え出したもの、根の弱い人工の植物のようなものだからです。

その存在を望み、大切に育てる人がいなくなれば、たちまち枯れてしまう。不正に飲み込まれて、力のない人間は押しつぶされていってしまう。

僕は君に、正義と公正さを望み、それを実現しようと努力する側の人間であってほしいと願っています。そして、君はそうなれる。僕は信じています。」



枯れかかっていた正義が、今回の件を機に再び大切に育て直されるよう願っています。


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07/12
細幅鍵盤PRサイト新規開設!是非ご一読ください♪
予てより交流のある細幅鍵盤の支持者の方が、満を持してご自身の細幅鍵盤のPRサイトを開設されました。

「細幅鍵盤のすすめ」
https://musil0723.sakura.ne.jp/dufyfan/


サイト名を見て「あれ?」とお思いになった方もいらっしゃるかもしれませんが、このサイトはsmallkeyboarder様の「細幅鍵盤のススメ」とは全く無関係です。著者の方自身も「細幅鍵盤のススメ」のことはご存じなかったとのことで、偶然同じ名前にしてしまったそうです。言うまでもありませんが、smallkeyboarder様とも別人です。
ちなみに、レンタルサーバにドメインを取得する際にこの名前にしたため、今からサイト名を変えるのは難しいそうです。お間違えのないようにお願い致します。

内容は項目ごとに整理されていて読みやすくなっています。独自の視点から鍵盤の大きさの問題に切り込んでいらっしゃいます。

この方は現在、シュタインビューラー社のDS5.5(7/8)鍵盤の付いたウォルターのアップライトピアノを注文されています。(日本からの注文は初!)
届くのは夏の終わりごろになるとのことです。ピアノが届いたら、細幅鍵盤について“憶測ではない”生の声を聞かせてくださると思います。
乞うご期待!


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07/09
国際ピアノコンクールの男女別入賞者数最新版 - 英語サイト和訳記事更新のお知らせ
細幅鍵盤関連の英語サイト、ALTERNATIVELY SIZED PIANO KEYBOARDSの以下のページの更新をお知らせします。

国際コンクールでの男女・人種別の受賞者数の違い - ALTERNATIVELY SIZED PIANO KEYBOARDS(和訳)
http://littlehands782.blog.fc2.com/blog-entry-87.html


コンクールの入賞者数の表が最新版に更新されています。

細幅鍵盤に関するブログやその他のウェブサイト - ALTERNATIVELY SIZED PIANO KEYBOARDS(和訳)
http://littlehands782.blog.fc2.com/blog-entry-114.html


サイズが選べる鍵盤の普及活動の主要メンバーの1人、エリカ・ブッカーさんのウェブサイトが追加されています。


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06/16
手の大きさの測定、シュタインビューラー社の製品 - Steinbuhler & Companyの更新・再編成のお知らせ
シュタインビューラー社のウェブサイト『Measuring Hand Span』『Products』の和訳をし直しました。

あなたの手の大きさはどれくらい? - Steinbuhler & Company(和訳)
http://littlehands782.blog.fc2.com/blog-entry-29.html


シュタインビューラー社の製品 - Steinbuhler & Company(和訳)
http://littlehands782.blog.fc2.com/blog-entry-31.html


このサイトを初めて和訳したときから早5年・・・製品自体もかなり値上がりしていた上にドルも高くなっていて(5年前は1ドル99.43 円!)、全体的に大幅にお高くなってます・・・


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05/17
認知的不協和: 酸っぱい葡萄(鍵盤のサイズが選べる状況)と甘いレモン(1つのサイズの鍵盤しかない状況)
心理学にご興味のある方なら聞いたことがあるかもしれないこの言葉。意味までご存知の方であれば、タイトルだけでお分かりになるかと思います。

2018年3月18日の記事(←クリック)で、手が小さいながら長年標準鍵盤で頑張ってきた年配のアメリカ人女性が、最近になって細幅鍵盤という考え方に出会ったときの心境について綴られたメールの内容を紹介しました。
そのメールには、この考え方に触れたときの女性の心の葛藤や、女性の通うピアノ・サークルの人達の反応について綴られています。これをお読みになった方の中には、ご自身の経験と重なった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
今回、こういった現象について説明できそうな、興味深い心理学の学説を見つけたので紹介したいと思います。


認知的不協和(または認知的不協和理論)(英: cognitive dissonance)”とは、アメリカの社会心理学者、レオン・フェスティンガー(Leon Festinger, 1919年5月8日 - 1989年2月11日)によって提唱されたもので、「同時に2つ以上の矛盾した信念、理想、または価値観を持つ人が経験する精神的不快感(心理的ストレス)」を表す社会心理学用語です。

分かりやすく言えば、人は“それまでの考え方や行動”と矛盾する“新しい情報”に出くわすと精神的に不快になるということです。
人がこの認知的不協和の状態に陥った場合、その不快感を解消するためには、“新しい情報”を受け入れて“それまでの考え方や行動”を改めるか、“新しい情報”を否定して“それまでの考え方や行動”を正当化するかのどちらかの行動をとる必要があります。
これを説明する代表的な具体例として、喫煙者の心理と、イソップ物語のキツネと酸っぱい葡萄の話がよく挙げられます。


~喫煙者の心理~

喫煙者は、肺ガンのリスクを高めるということを知りながらタバコを吸っているという自分自身の矛盾した行動のために心理的ストレスを感じます。
この心理的ストレスを解消するためには、“タバコは肺ガンのリスクを高める”という情報を受け入れて“タバコを止めるか、あるいは“タバコは肺ガンのリスクを高める”という情報を否定してタバコを吸い続けるか、どちらかの行動を選ばなければなりません。

喫煙はニコチンへの依存性が高いために禁煙するのは困難なため、喫煙者は後者の行動をとる傾向が強いです。この場合、「喫煙者で長寿の人もいる」とか、「交通事故で死亡する確率の方が高い」といった理屈を考え出すことで、認知的不協和状態(喫煙のリスクからの不安)を解消しようとします。

実際、喫煙の害に関するネット記事が出たときには、決まってそのコメント欄に喫煙を正当化しようとするコメントが並ぶのを目にしますね。しかもそういったコメントが上位を占めているという・・・ちなみに私はタバコは吸いません。

なお、アメリカのタバコ会社は認知的不協和を解消させようと、

“煙草を吸う人が肺ガンになりやすいのは、煙草が肺ガンを誘引するのではない。ストレスを抱えている人がストレスを和らげるために煙草を吸うだけであり、ストレスが要因となって肺ガンを引き起こすだけで、煙草と肺ガンの間に因果関係はない。”

といった主張をしているそう。

こういった主張は一見論理的なように見えますが、喫煙を正当化しようという結論ありきで組み立てられている理屈なので、論理的とは言い難いものです。こういうのを一般的に“屁理屈”と言いますね。


~キツネと酸っぱい葡萄~

イソップ寓話の1つで、子供の頃にお読みになった方も多いと思います。

この物語のあらすじは、キツネがたわわに実った美味しそうな葡萄を見つけて、採ろうとして跳び上がるものの、葡萄のある場所が高すぎていくらやっても届かず、結局採ることができなかったキツネは怒りと悔しさで、「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいに違いない!誰が食べてやるものか!」と捨て台詞を残して去るというものです。

英語圏では「Sour Grapes(酸っぱい葡萄)」は「負け惜しみ」を意味する熟語だということですが、この話は色んな心理学論を説明する際もよく挙げられているようで、認知的不協和もその1つです。

この物語で説明できる心理とは、本心では欲しいと思いながら手に入れられない、あるいは、本当はそうであってほしいけど、そうあるようにするには困難、という状況下に置かれた場合、そのフラストレーションを解消するために、「そんな物には価値が無い」とか、「むしろそうでない方が良い」といった解釈をすることで、現状を正当化して心の平静を保とうとすることです。

物語のキツネは、本心では美味しそうな葡萄が食べたくて仕方がないのですが、それを手に入れることが出来ないと分かると、自分の中に生じた不満をどうにか解消するために、「あの葡萄は美味しそうに見えるだけで、本当は不味くて採るだけの価値は無いのだ。」という解釈をして自分を納得させたわけです。


~甘いレモン~

上記の酸っぱい葡萄とは逆の観点から認知的不協和を説明するもので、「今手に入るもの(現状)こそが最も良いもの(最善)なのだ」と解釈して現状を正当化する心理です。
※ 言うまでもありませんが、これはあくまでも比喩的な表現なので、「レモンも催眠術やミラクルフルーツの力を借りれば甘くなる」とか、「甘いものより酸っぱいもののほうが好きな人もいる」とかいった言葉の揚げ足取りは無意味です。

本心では現状に不満を抱えていながらその現状から逃れられない場合に、その心理的ストレスを解消するため、「こうやって頑張ることは素晴らしい。この努力こそ価値あるものなのだ。」と解釈することで自分を納得させて心の平静を保とうとすることです。

こういった形で本心を誤魔化してしまうことを“自己欺瞞”と言いますが、これだと、その場では何となくうまく片付いたように思っても、根本の解決にはなっていないので、心の底では自信が持てていなかったりします。
そのため、他の人がその不満から抜け出す(根本解決をする)様子を見てしまうと、たちまち“自己欺瞞”による表面的な納得が崩れて、心理的ストレスを感じてしまうのです。

認知的不協和は、自分への納得の度合いが高い、言い換えれば、“信念”が強いほど、それと矛盾する情報に遭遇したときの不快感も強くなり、受け入れ難くなるという性質があるそうです。

本来なら、ここで自分も問題の根本解決をする道を選ぶほうが合理的なのですが、人の心はそう簡単なものではなく、特に小さい頃から刷り込まれた考え方だと、それを改めるのは非常に困難になります。それは自分のこれまでの人生を否定するくらい耐え難いことでしょう。
こういう心理状態から、(不満の根本解決となり得る)新しい情報を何としてでも間違っていることにして、(本心では不満を感じているはずの)従来のやり方を正当化しようとしてしまうわけです。

前述のキツネと酸っぱい葡萄の寓話と甘いレモンの例えに当て嵌めて言えば、

『“美味しそうに見えるだけで本当は不味いはず”の手に入れる価値の無い葡萄なんか無視して、“1番甘くて美味しいはず”の今手に入るレモンでみんな満足しているのに、“価値が無い”葡萄を手に入れようとするなんて、しかも“不味いはず”なのに「すごく美味しかった」なんてけしからん!そんなの認めるもんか!』

といった感じでしょうか。

こういうチグハグな批判は、ピアノの鍵盤幅(手の大きさ)の問題に限ったことではなく、日常でもよく目の当たりにしますが、この不思議な現象も認知的不協和理論でだいたい説明がつきます。

記事冒頭で触れたアメリカ人女性の件も、細幅鍵盤という考え方に触れた当初の心の葛藤はこの心理によるものだと思います。この女性は最終的にこの葛藤を乗り越えて、今は細幅(自分の手の大きさに合った)鍵盤を使う喜びを満喫しているようですが、そこに至るまでの精神的ストレスは相当なものだったでしょう。大変な勇気が必要だったと思います。そして、この女性の話の中に出てくるピアノ・サークルの人達の冷たい反応もこの心理によるものでしょう。


・・・とは言え、世の中不満な事ばかり。逆にすっきりうまくいっていることのほうが少ないくらい。まともに不満を抱えていてはやってられないので、こういう心理も心の平静を保つため、時には必要でしょう。
ですが、その数少ない根本解決できそうな機会までが、この心理によって潰されてしまうのは勿体無い気がしますね。


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